hideのプロフィール

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プロフィール

 

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どうもこんにちは。
本サイトを運営している hide と申します。
1977年生まれの東京都民で、大手企業のサラリーマンをやっています。

 

平均くらいの年収で、少しでも贅沢な生活をするためにはどうすれば良いかを考え、今まで色々なことに取り組んできました。
その結果、お金を節約するのが得意になりましたので、私が実際にやっていて効果があると思うオススメの節約術や考え方を本サイトでご紹介していきたいと思います。
2018年11月に本サイトを立ち上げたばかりの初心者なので、少しでも良い記事を少しでも見やすく書いて、皆さんにもっと見ていただくために日々精進しています。

 

では、冒頭のご挨拶はこのくらいにして、以降は hide という人間についてお話ししていきたいと思います。

 

今はお金のありがたみを十分に理解しているつもりですが、若い頃は親のスネをかじっていたにもかかわらず、お金を気にせず使って両親に迷惑をかけていた時期がありました。
あることがキッカケとなってお金のありがたみを知り、お金の節約や親孝行をするようになるのですが、このターニングポイントの話も含めて、私の自己紹介とこれまでの人生で大きな影響を受けたポイントをお伝えしたいと思います。
少しでも共感いただける部分がありましたら嬉しいです。

 

 

 

自己紹介

自己紹介

 

では、まず自己紹介です。

 

生年

1977年

 

自分ではまだ若いつもりでいましたが、あっという間に「おじさん」と呼ばれる年齢になってしまいました。
見た目はまだ若いようなので、実際の年齢よりもよく下に間違われます。
若く見られて嬉しいのか、落ち着いてないように見られてショックなのか、いつも複雑な気持ちになってしまいます。

 

血液型

B型

 

性格は細かくきちんとしているタイプで、A型の人よりもA型っぽいと言われることがあります。
また少しせっかちなので、なるべくイライラしないように日頃から気を付けています。

 

家族構成

妻、長女、長男、自分の4人家族

 

最近特に子供が可愛くてしょうがないです。
世の父親の中で、子供にかなり好かれている方じゃないかなーと思います。
選手権があったら、出てみたいくらいですね(笑)
子供に好かれるためには次の3つのポイントが大事だと感じていて、実践しています。

  • 子供を心から好きになって、常日頃から好きだと口に出して伝える!
  • できる限りスキンシップをする!
  • できる限り一緒に遊んであげる!

詳しくは別の機会にお伝えできればと思います。

 

趣味

食べ歩き、旅行、子供と遊ぶ、スマホゲーム、テレビ観賞 などなど

 

若い頃はもう少し多趣味だったのですが、結婚して子供ができてからは趣味も友達と遊ぶこともめっきり減ってしまいました。
今は本当に好きなことだけに絞ってやっています。

 

好きなスポーツ

学生時代の部活からやっているテニス、ウィンタースポーツ

 

中学高校時代は柔らかいゴムのボールを使う軟式テニスを3年間ちょっとやって、大学で硬式テニスをデビューしました。
生涯で一番長く続けているのがテニスなので、一番好きですね。
次はウィンタースポーツで、スキーは小学校中学年くらいから、スノーボードは大学からやっていて好きです。
どちらも子供が生まれてからはできていなかったのですが、手がかからなくなったのでまた始めました。

 

出身地

群馬県

 

高校生までを群馬で育ち、実家の周りは田んぼだらけの田舎でした。
群馬の名物は、高崎のだるまや高崎まつり、下仁田のこんにゃく、焼きまんじゅうなんかも有名ですね。
あと、2014年に世界遺産に認定された富岡製糸場もあります。
日本三名泉の1つである草津温泉も良いとこですよ。

 

座右の銘

過ぎたるは及ばざるがごとし

 

私は日々の生活の中で、一部の例外を除いて、多くのことをやり過ぎず適度にやるようにしています。
これは何に対しても当てはまるのですが、何事も100点満点やそれに近い点数を取るのはとても大変で、大きな労力がかかります。
たとえば、スポーツの世界ではプロになれるのはほんの一握りの選ばれた人たちのみで、プロになるための努力は想像もつかないほどの量だと思います。

 

もう少し身近な例を挙げてみると、食事が伝わりやすいかなと思います。
最近は美味しい外食店がたくさん増えてきたので、1000円も出せば十分満足できる80点くらいの料理を簡単に食べることができます。
ですが、90点を超えるような素晴らしい料理を食べるには、ミシュランの星を獲得した名店で大金を払ったり、行列店に長い時間並んだり、高い壁を登らないといけません。
つまり、80点くらいであれば多少の労力で達成できるのですが、このラインを超えれば超えるほど、1点を上げるために必要な労力が高くなるので、どんどんコスパが悪くなっていきます。
やはり物事はなんでもコスパが大切だと思うので、やり過ぎないように気を付けています。

 

ハンドルネーム(hide)の由来

幼少期から高校生までずっと上の名前(苗字)で呼ばれてきたため、下の名前で呼ばれることに憧れていました。
周囲への働きかけもあり、大学時代から下の名前で呼んでもらえるようになったので、喜びの気持ちを込めて、下の名前を略したハンドルネームを当時からずっと使っています。
カタカナやひらがなだと見た目がイマイチだったので、アルファベットにしました。

 

 

これまでの人生で大きな影響を受けたポイント

分かれ道のイメージ

 

続いて、これまでの人生で大きな影響を受けたポイントを綴ってみました。
人生の契機となるポイントはいくつかありましたが、どんなことがキッカケになって節約に興味を持ち、しっかり取り組むようになったのかという点を中心に順を追ってお伝えしたいと思います。

 

出生から中学生まで

目標イメージ

 

1977年に群馬県で生まれ、保育園児・小学生と順調に大きくなっていきました。
小さい頃は真面目な優等生タイプで、学校の成績は上位の方でした。
この小学生のときに、まず1回目の人生の契機を迎えます。

 

3,4年生くらいだったと思いますが、父親に映画とサーカスに連れて行ってもらったときのことでした。
映画が終わって楽しみにしていたサーカスを観ているときに、急に具合が悪くなり、もう少し観たかったのですが仕方なく途中で帰ることに。。。
数日経っても良くならず病院で精密検査をしたところ、髄膜炎と診断されました。
真夏のクーラーがない部屋に即入院することになり、なかなか退院することができず、とても辛かったのを覚えています。
私も詳しくは分かっていないのですが、髄膜炎になると腰の上あたりから注射して髄液を採る必要があるらしく、後で聞いた話ではこの注射は大人が暴れ回るくらいの激痛を伴うものとのことでした。
当時の私はそんなことは知る由もなく、いきなりベッドにうつむせに寝かせられたと思ったら、両手両足にそれぞれ1人ずつ大人が乗って動かないように固定され、最後に注射をする医師が腰のあたりにまたがってきて、これから何をされるのかとても不安に感じたのを鮮明に覚えています。
ところが、抑え方や注射のやり方が良かったのか理由は分かりませんが、ほとんど痛みを感じることなく髄液採取は終了。
後ほど激痛を伴う可能性があったことを聞かされ、医者の凄さを実感し尊敬するようになりました。
この出来事がキッカケとなって、将来医者になれたらいいなーと思うようになったわけです。
この後勉強に励んで、県内で一番の進学校に入学することができました。

 

高校生から魔の浪人時代まで

受験勉強

 

小学生の頃は身長が大きな方だったのですが、中学に入った途端、友達にどんどん抜かされ、いつの間にか平均よりも小さいくらいになっていました。
このことをコンプレックスに感じるようになり、まだ伸びる可能性があり食う子は育つという話を信じて、毎日ご飯を食べまります。
ところが、運動をまったくしていなかったので、縦には伸びず横だけに伸びる(太る)結果に(笑)
身長が170cmしかないのに、80kgまでプクプクと太ってしまったのでした。

 

ドカ食いしながらも医者を目指してほどほどに勉強していたのですが、医学部の壁は高く、受験は残念な結果に。
納得いく大学に合格できなかったので、両親にお願いして浪人させてもらうことになりました。
地方の予備校では実績や講師のスキル的に不安と考え、一人暮らしをして都心の予備校に通うことを両親と相談して決断。
そして、これが私にとって2回目の人生の契機である魔の浪人時代が始まる幕開けとなったのです。

 

池袋の河合塾に入塾したので、住むところが見つかるまでは新幹線で通い、埼京線の満員電車に揺られる毎日。
初めは安い下宿先を探していたのですが、ここにしようと思える物件が見つからず、不慣れな遠距離通学が続きました。
さすがに住まい探しに時間をかけている余裕はなかったので、ここで賃貸マンションを借りる方向に急転換。
時間がなかったので、初めて入った不動産屋で見つけた物件を現地確認もせずに即決することに。
ここで、初めての一人暮らしかつ予備校に通うという人生初の大きな環境の変化を迎えたわけで、遠距離通学も含めて大きなストレスとなり、私の心を病んでいったのです。

 

一人暮らしを始めた後はホームシックにかかり、どこにいても常に緊張している状態で、指先が震えて落ち着かなかったのを覚えています。
食欲もまったく湧かなかったので、あれだけ付いていたぜい肉があれよあれよという間に落ちていきました。
遠距離通学を始めて以降、段々とストレスが溜まっていくのを感じ、このストレスを発散するためだと思いますが、元々お金には無頓着だったのがさらに気にせず使うようになっていきました。
安い下宿先では納得できず新築マンションを賃貸することにしたり、一人暮らし用の家具や家電も良いものを買い揃えたり、必要以上のお金を使わせてしまいます。
一人暮らしを始めて時間が経ってからも不安定な精神状態は続き、その後の生活費なども一般的な仕送りの額より多くもらっていたと思います。

 

今振り返ると、この浪費が私の人生における最大の後悔ポイントになっています。
私の両親は普通のしがない公務員なので収入は並程度にもかかわらず、後で聞いた話では息子のためにと自分たちの生活レベルは最低限にして教育ローンを借りてまでお金を工面してくれていたのです。

 

今このことを考えると、両親に対する感謝と可哀想な気持ちで涙が出てきます。

 

そんなこんなで予備校に通わせてもらいましたが、遠方の予備校では友達もできず、予備校で授業を受けて家に帰ってテレビを見て寝るというサイクルの繰り返しで、1日中誰とも話をしないなんてザラでした。
ホームシックもありよく実家に電話をしていたので、この電話代もお金を多く使っていた要因の1つになっていました。
こんな状態では勉強が捗るわけもなく、結局一浪させてもらったのに2度目の受験は失敗に。
ここでまた両親と相談して、次が本当に最後のチャンスということで、もう1回だけチャレンジさせてもらえることになりました。
二浪目にはさすがに一人暮らしにも慣れて、目標の医学部はダメでしたが、合格できた私立大学に行くことにしました。
医学部でも私立あれば合格できそうな大学はあったのですが、学費が尋常じゃなく高額で手の届くレベルではありませんでした。
かなり遠回りしましたが、苦痛だった浪人生活をなんとか乗り越え、やっと花の大学生になることができました。

 

一般的には、浪人時代というのは勉強はほどほどにして、毎日遊んで楽しい時間のようですね。もしお子さんを予備校に入れることがあった場合は、遠方はオススメしませんよ。

 

大学生から社会人まで

社会人イメージ

 

大学に入学後は勉強やバイト、サークル活動に励んで、キャンパスライフを謳歌することができました。
とはいえ理系の学部だったので勉強が忙しく、文系の友達と比べると遊んでいる時間は少なかったですが、今までの人生で一番楽しく充実していたと思います。
金銭面では、バイトを多少なりともやっていましたが、まだお金のありがたみを分かっていませんでした。
親からの仕送りは継続してもらいつつ、浪人時代よりは減ったと思いますが、お金はあまり気にせず使っている状態でした。

 

そんなこんなで楽しい時間はあっという間に過ぎていき、大学院まで行かせてもらった6年間は勉強だけでなく、人との付き合い方や社会で生き抜く術など多くのことを学ぶことができたと思います。
たとえば、小さいながらも1つの社会といえるサークルで幹部をやったことで、物事を運営することや人を引っ張っていくことの難しさ、楽しさというものを知ることができました。
サークルで幹部をやった経験は、今の私を形作る1つの大事な要素になっていると思います。

 

学生時代の最後に訪れるのが、2度とやりたくないと誰もが言う就職活動です。
私は理系で成績も上位の方だったので、学校推薦をもらうことができ、幸いにもそこまで辛い思いをすることなく大手企業の内定をもらうことができました。
遊びはほどほどに勉強を頑張っていた成果かなと思ってます。
内定確定後は同じ会社に就職する同期の仲間で集まって、遊び回っていました。
週に2,3回は遊んでいたので、会いすぎですね!
それだけ気の合う仲間たちでしたし、楽しかったです。

 

会社の入社式と研修が終わった時点で初期配属先を言い渡され、その場所は旅行でしか行ったことなく知り合いのいない地方でした。
一人暮らしは慣れていたので良かったのですが、浪人時代と同じく知り合いが1人もいないという環境は慣れることなく、週末は寂しい思いをしていたのを覚えています。
親の車を借りて持って行っていたので、よく車で帰省して寂しさを埋めていました。

 

この就職して働き始めるというのが人生の3回目の契機になり、このことが人生のターニングポイントになったと思います。
今までバイトして小銭を稼ぐことはしていましたが、生活できる額のお金を稼ぐということがとても大変で難しいということを思い知りました。
いわゆるお金のありがたみってやつですね。
知らない土地で寂しい思いをしながら、諸先輩方に仕事のやり方やマナーなどを厳しく指導され、頑張って1つ1つの仕事をこなし少しずつ覚えていくことを繰り返す毎日でした。
こんなの社会人にとっては普通のことだと思いますが、少し前まで学生だった自分にとっては衝撃的で、これっぽっちの初任給を稼ぐのがどんなに大変なのかということを心底思い知りました。
就職して働くということがキッカケとなって、お金を稼ぐことの難しさや一生懸命働いて手にしたお金のありがたみというのを本当の意味で理解できたと思います。

 

これにより、本サイトのテーマにしている「節約」や「貯金」に目覚めることになります。
お金を稼ぐのは大変で稼いだお金はありがたいものなので、大事に必要最小限だけを使おうと強く決意したわけです。
それと同時に、学生時代に気にせずお金を使わせてもらった両親に対して、言葉では言い尽くせないくらいの感謝の気持ちと、バカな息子で申し訳ないという気持ちでいっぱいになりました。
両親は持っているお金の多くを私に使ったため貯蓄はほとんどなく、退職金は教育ローンの返済で消えてしまい、年金だけで生活している状態でした。
浪人して一人暮らししながら予備校に通わせてもらったり、二浪しながらも学費の高い私立大学に行かせてもらったりと、今の自分があるのは両親のお陰だということが十分すぎるほど分かったので、少しでも恩返しと親孝行をしようと考えました。
具体的には、結婚するまでは毎年80万円くらいを返し、結婚してからは自分で自由に使えるお金はほとんど両親にあげたり、自動車税や携帯電話料金を支払ったり、毎年2回くらい温泉などの旅行に連れて行ったりと、できることをやるようにしています。

 

本サイト立ち上げまで

ブログ

 

そんなこんなで結婚してからも「節約」は継続してやってきたわけで、節約に対する意識は始めた当初より年々高くなっていきました。
節約だけやると心が折れてしまうので、使うところは使って多少の贅沢をしながらも、その中でできる限り出費を減らすということを心掛けたのが継続できたポイントかなと思っています。
節約効果がありそうなことを調べてはチャレンジするということを繰り返しやっているうちに、マンションを購入してから10年経つ前に住宅ローンを完済することができました。
まさに「継続は力なり」ですね。
自分が大事だと理解して一度やろうと思ったことは、できる限り続けてください。
私にとって「節約」がこれに当たります。

 

まずは住宅ローンの完済を目標にそれまで頑張ってきましたので、とりあえずは一区切りついたかなと思ったときに、せっかく貯めたノウハウを自分の中だけにしまっておくのはもったいないのではないかと思うようになりました。
人それぞれ環境や条件が違うので、皆さんにも同じように使える節約術になるかは分かりませんが、貯めたノウハウをホームページで公開することにより少しでも皆さんのお役に立てるんじゃないかと思いました。
ホームページを作ったり運用したりする知識はまったくありませんでしたが、たとえ失敗しても自分の肥やしにはなるだろうと考え、一念発起で始めてみたのがキッカケです。

 

サイトの記事の方にも書いていますが、お金を貯めるには難しい収入を増やすことより、節約して出費を減らすことの方が簡単で効果的です。
「節約」は自分の中で大きな柱の1つになっているので、これからも継続して取り組んでいきたいと思います。
お得な情報をどんどん発信していきますので、よろしくお願いします!



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